アーティスト、役者の集客の壁

2015年12月12日

10代、20代と芝居にバンドにステージ人生を駆け抜けてきました。
33歳で我が子ができそれから今年3人目の子宝に恵まれましたが、その33歳で僕はステージを降りています。
それでも音楽はやめずにヴォイストレーナーとして、または作曲家としてミュージカルの楽曲をつくったり、ミュージカルの演出や歌唱指導をしてきましたが、自分自身がステージでマイクを握ることはほとんど無かった。
41歳にして、自主的にというよりもむしろ周りの後押しもあり再びステージに上がり始めている。
周りの後押し、つまり既にお客さんが集まってくれているわけだけど、やるからには満員御礼は目指したい。
そこでやっぱり、「集客の壁」というものにぶち当たるのです。
自分自身が、音楽や芝居、映像などを創っていると、自然に広い意味でアーティストの交友関係が多くなる。
すると舞台やライヴのお誘いがわんさかくる。
さすがに全部、イエスマンをやっていたら軽く土日は吹き飛んでしまい、僕の場合、子育て真っ盛りなのでそうもいかないのが実情。
もちろん、行きたい気持ちもあるけど、一度会ったきりでどんな芝居をするかわからない人からの一言メッセージでは、イマイチ、気分は乗らなかったりもする。
せまい社会、同業者どうしで、需要と供給が打ち消し合ってゼロを続けている世界がまだそこにあった。
かという僕も地元ではみこしに担がれてステージに上がってはいるものの、都内でライヴハウス復帰!ともなれば、同じようにお誘いをしてしまう運命(さだめ)なのですが…
やっぱりそうなる前に、この課題はある程度、クリアにしておきたい。

アーティスト、30にして辞めず、40にして本格復帰。

2015年7月2日
アーティスト、30にして辞めず、40にして本格復帰。

僕が最後にライヴハウスで歌ったのは、8年前。

娘が誕生した年、渋谷でレギュラー出演をしていたライヴハウス多作。

実はそこから、ライヴハウスで歌っていません。イベントではちょこちょこ1曲、2曲歌うことがあっても、自分のバンドのライヴという看板で歌うことはなかった。

子供が産まれたことで、なかなかお金につながらない音楽よりも、少しでも仕事につながっていたデザインや企画、コンサルにウェイトが上がっていくのは子を育てていくという責任感ゆえだったのだと思います。

それでも、音楽は継続していて、ミュージカルや舞台音楽を中心に作曲家や、ヴォイストレーナーとして継続していました。

8年経って、今は3人の子供もいる。

そんな中、音楽に対する執着が人を呼ぶのか、作曲の依頼は頂き続けるし、夏には久しぶりに名指し、出演料つきでライヴの依頼も入った。
パーソナリティ講座を受けたいという女の子が、使っていないんでとエレキギターを「もらってください」と持ってくる。

回りがこぞって、あなたミュージシャンでしょ!と言っているかのように感じてくる。

芝居は芝居で続けてきたけれど、先日、知人の舞台を見たのですがそこはライヴハウス。

バンドライヴと芝居のコラボレーションということで久しぶりに生のバンドの音を全身でうけてなんだか震えるような気持ちになった。

40歳。

また、ステージへ。

思うに、音楽を30で辞めるとかそういう人が多すぎる。

30歳。もちろん、忙しかったり、他のことで責任のある立場であったりしてなかなか難しいこともあるだろうけど、細くても長く続けてみることをオススメします。

きっと音楽の方から、話しかけられる。

40は時間や自分をコントロールできるようになる歳。音楽や芝居や何かを加えても、自分の生活への責任だって全うできるはず。

人生はギャンブルではなく、人生の中にギャンブルがあるんだ。

2014年7月17日

今でも思い出す、大学卒業後の極貧生活。
当時、貧乏自慢の番組があれば出演できただろう僕のライフスタイル。
バイトはコンビニの深夜で、月にせいぜい12万円くらい。
家賃は、5万3000円のワンルームだった。
確かに1人だったらなんとか生活できるレベルだけど、メジャーデビューを夢見るバンドヴォーカリストだったので、楽器やら、スタジオ代やら、代々木のスタジオでバンド練習していたので、電車賃も掛かったし、もちろん、練習後やライヴの後は酒を飲むので、生活に余裕はない。
食費は一日100円~200円。
主食は食パン。
お腹が減って眠れないときは、枕をお腹に当てて、うつぶせで眠ると、少しだけ空腹がごまかせた。
20代前半、他人の勧めることを断る術を知らず、新聞屋の勧誘が断れないと、月3,800円の朝日新聞の購読料が生活を圧迫した。
契約直後は、たかだか3,800円のことに眠れないほどにうなだれた。
当時の僕にとって人生はギャンブルだった。
音楽で生きていくこと。
ステージで歌って、CDを売って生きていくことは、実力だけではなく、運も必要。
運が必要な世界だけに没頭するのはギャンブルだ。
バンドのウェブサイトを作るために学んだHTMLとCSS。
そこから、PHPや、javascriptoと凝っていき、専門学校のオンライン講座を受講するほどにのめり込んだ。それはバンドのため。
自分のバンドを売り込むために広報の知識を学びだした。
その後、チラシやジャケットデザインも懲りだし、DTPも学ぶ。
音楽と並行して続けてきた結果、デザインがいつのまにか仕事になっていた。
次の日曜日に40歳になる。
今、会社を経営しています。
時々、人材バンクより、ヘッドハンティングのスカウトがくる。
バンドの延長で、ミュージカルやケーブルテレビ、ラジオパーソナリティなど、色々な現場で活躍できたことも実績になり、企業が立ち上げるプロジェクトリーダーの依頼も来る。
大学を卒業して、10年以上も就職もせず、音楽だけをやっていた僕が、30そこそこで社会人デビューをして、しかも、いきなり経営者デビューをして、結婚もし、子供も二人。
スカウトメールを読みながら、今、大学を新卒で就職した人に追いついたことを実感しています。
10年遅れてバイト生活から抜けたのに、数年で追いつけた。
大学卒業の日、周りが就職していく中、自分だけが夢を追うことを決めたことに不安で眠れなかった日々。
それが、あの日、就職していった人たちに追いつけたことに、安堵感を感じます。
それは、夢の追いかけ方があったのかもと振り返る。
たしかに、音楽で大成功はしていないけども、僕は人生を台無しにすることはなかった。
仕事がない、お金がない、結婚もできない、そういうことにはならなかった。
僕はハングリー精神で、自分を追い詰めて目標を達成するという日本古来の精神論に異を唱えます。
安定した生活の中でこそ、健康な精神を保つことができて、安心して学び、成長することができる。更に将来の不安も解消しながら、生きていく。
去年、FPの資格もとり、更に思う。
人生はギャンブルじゃない。自分の人生を勝手にギャンブルにしてしまったら、自分を育ててくれた親に申し訳が立たない。
計画的に夢は追えます。
僕はこのことを、今、夢を追いかけている20代の若者に伝えたい。
更に、僕が、この10年で10年のブランクを取り戻せたのだから、30代でも40代でも、さらに50代、60代でも、行けるところまでは行ける。
今、学ぶべきモノ、今、動くべきこと、更に、FPとしてお金のこと、そういうことをしっかりと伝えられる人生の企画士をさせていただいています。
株式会社 企画室創希
代表取締役 小塚ツルギ

子供がいるからわかったこと。

2014年6月2日

所詮ポエム。そんな歌は聞き飽きた。
子を持つと、ライフスタイルが一変します。
物事の中心が変わるんですよね。
僕はそれをとても幸せに感じています。
「自分を大切に」なんて言葉が、「夢は必ず叶う」と同じくらいポエムとして歌われているけど、僕は所詮、ポエムだと思う。
夢が必ず叶わないのと同じように、自分より大切な人は必ずあらわれる。
人生は実態でポエムとは違うから。
かという僕も、そんな歌詞の歌をライヴハウスで熱唱していた。
だから、また、歌を歌いたくなった。
子供がいるからわかったことを歌えるから。
安易に「子供から大人までが楽しめる」とか嘘を言うな
子供を持つと、子供のことがよくわかるようになる。
うちの子はいくらが好き。
ちなみに僕も好きなんだけど、高いですよね、いくら。
いくらを買ってくると、まず、子供たちに「いくら買ってきたぞ-!」と喜ばせます。
僕は、そんな子供たちのおいしい笑顔を見ている方が「おいしい」んだ。
自分の味覚以上においしさを感じる。
だから、最近、いくらを食べていない。でも、味覚以外で、いくらのおいしさを味わっている。
いくら
イベントとかに、子供から大人までが楽しめるとか、書いている。
だいたい、そういうイベントのうたい文句を信じて行くと、3分で「帰りたい」と子供は言います。
とりわけ社会貢献的なイベントに多い。
そんなイベントのうたい文句、実は僕もよく使っていた。
子供がいるとわかるようになった。子供から大人まで?嘘を言うな。
子供はそんなもの楽しくも何ともない。
そんな風に言うと、子供に迎合するのか?と言われそうだけど、そうじゃない。
キッザニアに行って感動した。感動ついでに分かったような気がする。
キッザニア
大人と子供が同一線上に見えた。大人は真剣だった。子供がそんな大人の世界を知るテーマパーク。
遊園地のノリで行ったんだけど、全然。
ホントに良かった。
ガチンコだった。
「子供から大人までが楽しめる」のヒントがそこにあった。
だから、自分がイベントをするときは、もう、嘘をつくのはよそうと思った。
子供のいる世帯と独身世帯・子供のいない世帯は離れてい
これはスゴく感じる。そもそもその時間に、そこに行けません!ということが多々起きる。
親しかった友達でも、日々、乖離していくんだ。
全然会わなくなる。
子供がいる世帯同士が、コミュニケーションをする。その一方、子供がいない独身者や子供がいない世帯の人同士がコミュニケーションをする。
遊びの種類は全く違う。
やることが合わない。
これってどうしようもないのか?と寂しく感じて来た。
でも、これも、解決策があるような気がしてきた。
きれい事ではなく、子供から大人まで、全部が全部、つながるを目指したい。

ジングル職人はじめます。

2014年3月8日

風邪が流行っていますが・・・
僕も撃沈しました。
30代前半までは一日寝てれば治ったものが、今回は熱まで上がり、5日間、寝込むという・・・
妻いわく「風邪じゃないんじゃないのー?」と心配を掛けたわけですが、病院にいったらただの風邪だという。
要するに、ただの風邪に打ち負かされるほど老いたということなのでしょう。
なさけな・・・
このところ、アイディアはフツフツとわくも、というか、わきすぎて、行動が追いつかないという。
宝の持ち腐れ
ここ数年、年に作る楽曲数が一桁になってしまった。
バンド時代は1日1曲作るほどに僕の頭は温泉のようにわき出ていた。
ミュージカルともなると、1作品に10曲以上作るし、稽古に入ったら一気に全部欲しいとか言われるので、3日で10曲作る事もあった。しかも編曲まで。
仕事で僕の楽曲が勝手に?使われたりして勝手に少ない印税も入っていたのだ。
今はなき?着うたとか。だれだ?どこの誰ともわからないやつの楽曲を着うたにしているやつは?
が、忙しさにかまけて最近は、頼まれたら作る感じです。
あとは、自分で作るより、人様の曲をカバーしている方が心地よくなっている。
サビを作るのはインスピレーションでパッといくんだけど、Aメロくらいになると「作業」になってしまうところがあって、よくないよね。
そんな中、ちょっと頼まれた事があって、ラジオやネット配信の番組のジングル作れますか?って言われた。
自分がラジオやっていたときも自分の番組のジングルは作ってたし、ケーブルで司会やってる番組の主題歌も半ばジングルみたいな感じをイメージしてイントロを作ってるしで、案外、得意なのね。
2,3秒でいいんで。
おぉ、なんて、時短で自分にピッタリの仕事なのだ。
ジングル職人はじめます♪
忙しさにかまけて、ゴーストライターやとって、記者会見になるような事がないように気をつけよう。。。
僕は知っている・・・あの名曲も、さらにそんな名曲も!ゴーストライターが作っている事を・・・

ミュージカルの音楽を作る

2013年12月22日

今日はミュージカルの本番。

エンディング主題歌をオリジナルでつくって提供しただけですが、これがぼくにとっての毎年の恒例行事となっております。

タイ、バンコクの日本人劇団のミュージカル。

劇団の名前はサザン天都。

僕がアジアを放浪していたときにふと立ち寄ったのがその劇団でした。

当時は、普通の芝居をやっていたんですが、稽古を見学した翌日に、劇団の方達とお茶をしていたら、本当はミュージカルがやりたいのだけど、作曲家がいないという話がでたんです。

そこで、「あれ?僕、作曲家ですけど」ということになり、僕にとっての毎年の恒例行事になったのです。

さすがに、海外なので、なかなか応援に駆けつけることはできない、出演者がどんな人たちで、どんな仕上がりになっているか、本番終了後に送ってもらえるDVDを見てやっとわかる感じ。

でも、この前、出演者の方が、facebookでメッセージをくれました。

素敵な曲をありがとうございます。一生懸命、練習しています。一度、お礼が言いたくてメールしました。

ちょっとだけ、稽古場の呼吸音が聞こえたような感覚でした。

今日の本番、どうだったかな?