集客の壁 集まるイベント、芝居、ライヴ、セミナーの方法

2018年4月20日
集客の壁 集まるイベント、芝居、ライヴ、セミナーの方法

悩む集客。

渋谷のスクランブル交差点を見ると人ってこんなにいるのに
通勤ラッシュを見ると、どんだけ人がいるんだと思うのに、いざ、イベントを開催すると人は来ず。
あの人達をこっちに来させるにはどうしたらいいんだ?と悩む。

僕のバンド時代、ライヴの集客方法

バンド時代は10人ほどのファンの方がいた。たった10人されど10人です。
新しいCDを発売するとき、ライヴの後はカウンターに10人並べば対バンのアーティストから「大人気ですねー」と声を掛けられるのです。
どれだけハードルが低いのだ。
ただ、「集まる」ファンが10人いれば後は、「集める」お客さん30~40人。それでうちのバンドのお客さんは40~50人になる。
ライヴハウスにしてみれば、週末のトリにブッキングしてもらえる売れっ子バンド。
ほとんどが土曜日のトリでした。

あの頃は集客がそれほど難しいと感じていなかった。

結婚をして、プライベートは家族との時間を多く取るようになる。その後、舞台演出などを続けてはいたものの、僕個人のお客さんは一桁。
知人達も結婚をして子どもがいたり、正社員で時間が自由に使えなかったりする人が増えた。
更に根本的な理由は、「営業」がほとんどできなくなったからだ。

バンドも解散して15年。今はファンなんて人は1人もいない。(それはそうだ。)

なぜ、集客できなくなったか?

当時の「集める」お客さん30~40人がどのようにして集めることができたかのカラクリに理由がある。
それは時間をかけたからです。
とにかく友人、知人のライヴと芝居に行きまくっていた。
友人、知人のライヴや芝居に行く。すると、その人もチケットノルマの一助になるので恩ができて僕のバンドのライヴにも来てくれるというシンプルなカラクリ。
カラクリというよりも、これは駆け引きだ。
とにかく一日に2ステージとかザラでとにかく公演、ライヴに行きまくる。この投資は「行って来い」だと思えば惜しげもなく行けるわけです。
自分が行くことで自分達のライヴにも来てくれるので、結果、人気バンド。ちなみにこれをやっていたのはヴォーカルの僕だけだったので、メンバーに対してはやや不満をぶちまけていた。「おまえら、客、呼べよ!」って不満がふつふつしていた。
でも、ヴォーカルだし、仕方ないか・・・とも思っていたけど。

「来たから来てね♪」の構造は今の時代も変わっていないらしい。

「来たから来てね」の暗黙の了解で成り立つチケットノルマ文化。お客を呼べる小劇場の役者さんほどたくさんの友人、知人の芝居に行っているという努力があるのだ。

それってどうなの?

これでは仕事にならない。豆腐屋さんが、おたくの豆腐買うからうちの豆腐買ってくれる?って大山の豆腐屋さん界隈でそんなことをやってるわけがない。
大山それ自体が外からお客を呼ぶからお客が「集まる」。そして、豆腐が売れるわけだ。

この「集める」作戦はずっとできない。なんせ、僕にはそんな時間がない。ライフスタイルが変わるとなかなか毎週のようにイベントに行くこともできなくなった。
一日イベントを開催するために、例えば、自分1人で50人集めるために、50個のイベントに足を運び、「来たから来てね」と言い続ける。それも打率が5割か6割程度だろうから、そううまくもいかない。こんなことできるわけもない。

「集める」は限界。「集まる」仕組みを作らなければならないのだ!

2年ほど前、フリーマガジンを1万部ポスティングしてイベントに何人来たか?

2年ほど前、地元で映画上映とライヴを融合したフリーマガジン創刊イベントを開催することにした。
過去のバンド経験があり、あの頃の感触から自分には集客力があると思い込んでいた節がある。
朝日新聞の取材もうけ、地元の行政関係の広報誌の取材もうけた。これはもう順調に行くはずと思っていた。

郊外といえど地元に配ったフリーマガジンは1万部。
知人のパフォーマーも呼び、ブッキング。盛り上がるぞー!!!と息巻いていた。
いざ、当日、フリーマガジンを見て会場に来てくれたお客さんはなんと・・・2人。あとは知り合いである。
スカスカの会場。
大事な知人パフォーマーにスカスカの会場でパフォーマンスさせてしまい、どう詫びて良いかわからず、顔面蒼白状態。

ここまでやってようやくわかった。

そう簡単に人は動かない。

あの頃は駆け引きの結果で来てくれていたのだ。

ネットのアクセス、SEOも一種の集客ですが、それすら難しいのだから

集客という意味ではホームページやブログのアクセスもそうだ。そう簡単に人はあなたの記事を読みに来ない。
YOUTBE動画もそうだ。そう簡単にその動画、見には来ない。
ラジオもそう、リスナー獲得の仕組みや告知もなく始めたところで、コミュニティFMで番組をやってもファックスは届かない。生配信だって、適当に始めても視聴者は0~2人程度でしょう。電車に乗ってイベントに行くよりも遙かにハードルが低いのにそれでも集めることが難しいのだから、イベントに来させることがどれだけ難しいことか。

もー、これ、どーすりゃいいんだ!!!!と悩み続けて学び続けています。

現在進行形です。
どんなに楽しいイベント、どんなに面白い番組をやっても参加してくれる人、見てくれる人を集めるのは本当に大変。
さっきも知り合いのラジオ番組のバックナンバーをYoutubeで聞いていたのだけど、再生回数は一桁。こんなにトークがイケていて楽しいのにビックリする。

こういう失敗を垣間見つつ、体験しつつ導き出した具体的なアイディア

コンテンツがどんなに良くても、それと集客力は正比例しない。
どんなに歌が良くて、どんなにビジュアルが良くてもお客が少ないアーティストが山ほどいる。
結局、ミーハーな人が多い。メジャーな事務所や企画に絡めてそこから露出することが正攻法だ。
スターになる戦略

集客には集客のノウハウがあるはずだ。
とりわけネットで強いコンテンツは「役に立つ」コンテンツ。
「役に立つ」は「楽しい」を凌駕することもある。
ただ、役に立つイベントというのもなかなか難しい。強いて言えばインスタ映えするイベントであれば参加者の役には立つのかもしれない。
インスタ映え戦略

基本はやっぱり楽しいや感動するというコンテンツ力で引き寄せたいと思う。
でも、そこに固執していたら厳しいものがある。
カリスマ性があれば、話は別。
とりわけ僕の場合は作家さんと話せる!とカリスマ性に引き寄せられてイベントに参加することがある。
会うと「あれ?」っていうことがあるけど、顔が見えないとカリスマ性が高まって会ってみたくなるというのもある。
カリスマ性を演出戦略

されど「集める」から始めるのが基本だと思う。

といろいろ「集まる」イベントをどう作るか?を綴ってきましたが、正直、「集まる」のほうが「集める」よりも難しいところがあります。
難易度の低い「集める」から始めて、徐々に「集まる」にしていくことが良いのだと思います。

たとえば、10人以内の小さなイベントや交流会に参加しながら、自分や自分の企画をPRしていくこと。
その際は、参加しているイベントそれ自体をしっかり楽しみ、人とつながること。
異業種交流会に保険屋営業が来て興ざめするようなシチュエーションはもう見たくない。(同窓会とかは更に最悪だ。)
結局、自分と交流してくれる人がいない限り、カリスマ性があろうが、印象が良かろうが、気付いてもらえないのだから、とにかく人と会うこと。
人と会うときは、常に「自分が何者なのか?」そして、「自分がこれから何をたくらんでいるのか?」の二点は必ず持ち合わせて、伝えること。

こういうことが大事なのだと思います。
自分とのつながり、人を集めつつ、自分をPRして「集まる」の種をまいていくわけですよね。

僕の経験上、セミナーに受講者側で参加しても、なかなか人とはつながれません。
終了後に講師と名刺交換は必須ですが、同じ受講者同士が交流するタイミングがほとんどないからです。
セミナーはその課題を純粋に学びたい時に参加するもの。
むしろ、ワークショップ。勉強会。または、パーティー。

横同士のコミュニケーションが活発化できるようなものに参加すると良いと思います。

集客は一日にして成らず。
交流深めて行きましょう。ということで企画があれば参加しますし、共同企画の持ち込みも歓迎します。

音楽の聴き方が変わる2018

2018年1月17日
音楽の聴き方が変わる2018

音楽の聴き方が変わった

音楽の買い方が変わって、音楽の聴き方も変わってしまった。
CDを買うことがなくなっただけではなく、CDを借りるということもほとんどなくなってしまった。
更に音楽をダウンロードするということさえもなくなるとは思いもしなかった。
音楽のストリーミングサービスでお気に入りのアーティストを検索してそのプレイリストを流す。
これが僕の日常の音楽の聴き方。

YOUTUBEでタダで聞いていないでせめて音楽を購入してDLする!という姿勢だったけど、SPOTIFYを聞いているとお金を支払うタイミングというものすらなくなってしまった。
もちろん、Spotify PREMIUMというCMが入らないサービスもあるのだけど、正直、CMが入ってもまったく気にならない。
というのも、アーティスト紹介のCMや、Spotifyそれ自身のCMなので音楽に溶け込んでしまう。むしろ、お耳のお休みになったりして心地よかったりする。
たしかにジャパネットたかたのCMとかが入ってきたら、さすがにプレミアムも考えるかもしれないけど、今のところ、全く問題ない。
(ジャパネットたかたのCMは耳に残りますから。ディスってるわけではないです!)

というわけで、音楽にお金を一切掛けない生活が続いている。
音楽に向き合う生活をしている自分にとって自問自答がある。これで良いのだろうか?

Amazon echoは救世主かもしれない

僕は音楽にお金を払いたい。それは綺麗に言うと作り手に対するせめて対価を払いたいという思いがあるから。
仕事をして作ったものが無料で出回ってしまう。こんなおかしなことがあって良いわけがない。
そんな中、先日、Amazon echoを注文して我が家にも届いた。
早速、子ども達のおもちゃと化すわけだけど、その内、「アレクサ、恋ダンスを聞かせて!」なんてリクエストをし出した。

音楽が近づいた

正直、そう思いました。子ども達と音楽の距離がぐっと近づいた瞬間でした。
ちなみに、アレクサというのは、このamazon echoの名前です。

子ども達にはもっと音楽に触れて欲しい。でも、CDも売っていない今、どうやって近づけようと思っていました。
検索やダウンロードはちょっと子どもには向いていないし。その点、このAmazon echoは子どもでもすぐに音楽が取り出せる点がすばらしい。

でも、恋ダンスは出てこない。

何かの曲を聴かせて!と言ってもそのオルゴール版みたいなものが流れるだけ。
なんでオリジナルが流れないのよ!と思ってわかった。
僕のアマゾン会員種別はプライム会員。

amazon プライム会員は、プライムミュージックで100万曲がいつでも聴けるけど、amazonのmusic unlimited は4000万曲対応。実にプライムミュージックの40倍。
こっちに登録しないことにはほとんどの音楽が取り出せないのだ。
もちろん、Spotifyであれば無料版でもほとんどの音楽が取り出せるという点で、こちらに課金することにちょっと躊躇してしまう部分もあるけども、子ども達と音楽の距離が近づくのであれば喜んでこのmusic unlimitedを申し込もうではありませんか。

ちなみにGoogle HomeであればSpotifyの無料版を使用することができるみたいだけど、PCの無料版と違って特定の音楽は選択できないそうです。
どのみち、有料なのですね。

特定の曲やアーティストの曲を流したいときは、amazon echoでunlimited music。または、Google HomeでSpotify premiumですね。

ちなみに、もう一つのすばらしい使い方は、ラジオです。家にラジオがない人は多いですよね。
Amazon echoはラジオにもなる。「アレクサ、TOKYO FM流して!」これだけ♪もう、ディスプレイはいらない。目に優しい生活を是非!

ビジネス書やコンサルタントの甘い言葉で人生どん底へ行った人

2018年1月11日
ビジネス書やコンサルタントの甘い言葉で人生どん底へ行った人

占いよりも当たらないビジネス書がある

ゲッターズ飯田さんによると僕は金のイルカで去年もっとも運気がよかったらしい。それを知っていたら行動も変わっていたかも。
なんて占いも信じる僕ですが、そんな僕でも気をつけているジャンルが2つあります。

人生狂わす注意の商材「ビジネス書」と「コンサルタント」

特にビジネスの分野でこの2つは要注意。
読書に時間を惜しむなとよく言われますがそれは良書に関してのみであって、悪書は当然、読まない方が良いですよね。

どちらも、もちろん、良いものも多い。でも、悪いどころか洗脳してくるもの、不幸に落とし込まれるものもある。

両者の悪いものの特徴として、導入に真実、もっともなセオリーを紹介し、信じ込ませたところで「個性」を発揮してくる。

そもそも儲かる発見をしたのであれば独占するほうが理にかなっているにも関わらず、本やセミナー、コンサルタントの現場で人に伝えるという行為は確実に矛盾している。
ほとんどの場合が実践では稼げないから、「伝える」ということにシフトしたという経緯で間違いありません。
ほとんどの場合、なぜ、自分が、このことを多くの人に伝えたいか?の理由が書かれていますが、まずはソコを疑ってみてください。
「疑う」という行為は少し性格が悪いのかもしれませんが、自己防衛のため、本もコンサルタントも一度、「本当だろうか?」と疑問をもつことが大切だと思います。
それが自分であり続けるため、アイデンティティーを失わないための唯一の防衛手段だと思います。

僕の周りには経営者や起業家の方が多い。というのは僕自身もそういうビジネス書やセミナーのお世話になってきたからです。

ビジネス書やコンサルタントに洗脳されてしまった人の特徴

その中で、やはり延々と「起業家」でい続ける人がいることに気がつきました。

起業家とは文字通り、仕事を起こすことですが、いつまで起こしているのか?早いところ、専門家や経営者にならないと継続して運営していけないだろうに。

要するに成功しない。ただ「学び続けている」人達です。そうした方達に共通した一つの特徴に気付きました。

延々と「起業家」をやっている人達の特徴

その特徴とは、自分の実績や売り上げ以上の効果をはったりで見せつける人です。とりわけ見せつける現場はfacebookです。

オレはスゴイ。私はスゴイと延々とタイムラインに書き続けています(もちろん間接的に表現するわけですが)。ブログでセオリーや教えを発信し続ける人もいる。

そして、そういう人達が読むビジネス書について、面白いことに共通して読んでいる著者、共通している出版社があるのです!

洗脳してくるビジネス書とは

ここでは著者名は書きません。その本が悪いとは必ずしも言えないからです。これは、その本や著者がいけないというよりも、そういう傾向の人が購入する本というだけかもしれません。
ターゲットが「起業家でなかなか成功しない人」という戦略として仕組まれたタイトルによるものなのかもしれません。
でも読んでみると間違いないのは、「心地いい」ことです。自分にも簡単にできる!とモチベーションが上がるものです。
モチベーションが上がることは素晴らしいことですが、モチベーションの持って行き場所を間違えてしまうととんでもないことになります。そこが欠落しているか間違っていることが多いのです。
僕の周りの延々と「起業家」を続けている方の多くが共通してその著者達の本を買っているというのは興味深いことでした。

有名コンサルタントや、有名起業家、有名出版社とだけ言っておきます。

延々と「起業家」を続けている人の性格的特徴

ほとんどの場合、コミュニケーションが上手ではありません。本に毒されてしまった部分もあると思います。
ビジネス書やコンサルタントに言われたことを鵜呑みにしてしまう人達です。
純粋すぎるせいか、自分を持っていない。自分を持っていない分、発見したこと、教えてもらったことに浸透しすぎてしまいただその内容を延々と誇らしげに話し続ける傾向があります。
人間味のある失敗談は出てきません。
著者を敬愛する余り、「○○先生」と言ったりします。
ネットワークビジネスにはまります。
アフィリエイトにはまります。
どちらも核となる技術や商品がなくても始められるものだからです。

ネットワークビジネスやアフィリエイトがいけないというのではなく、そういう傾向があるということです。

さらにこの2つの難易度は高く、更にネットワークビジネスは仮に商品が素晴らしいものであっても、手法として知り合いのつてで広げるものなので時に誤解され、友人、知人を失うリスクがあります。

アフィリエイトに関しては、1日1000アクセス、10,000アクセス当たり前という主張の本が横行しています。
SEOに関する本も同じですが、閲覧者がいてアクセス数があります。
絶対数があるものに「誰でもできる」はあり得ない。
一個人が作成したウェブサイトに1日1000アクセス集めるという難易度は思っている以上の更にそれ以上に難しいです。
実体験として1日1000アクセスでグーグルアドセンスで稼げていた金額は月5,000円でした。1,000アクセスのブログを作れるのであれば別のこと、たとえば本業を立ち上げてその宣伝に使った方が良いのかもしれません。

独身であれば、いろいろなビジネス書やコンサルタントを一度経験して失敗して、悪書が悪書だったこと、コンサルタントにだまされたことも糧になると思います。
でも、結婚している、子供がいる人で起業される方は、ビジネス書やコンサルタント選びには注意したほうが良いと思っています。

僕がオススメする良書は、基本が学問ベースであるもの。経済学、経営学、心理学、統計学などがベースにあるもの。むしろそのベースだけを学ぶのも良いのかもしれません。

また、良いコンサルタントに出逢う方法はとにかく多くの人に会った方が良いと思います。
国家資格や公共サービスを意味がないと馬鹿にする人が多くいますが、国家資格は先にも書いた学問ベースで学んで得られる資格であってその資格を持っているということは大前提として邪道が個人的主観や個人的経験がベースではないという証かもしれませんし、公共や商工会議所の運営は国や自治体と密接でありその統計データを活用した運営も馬鹿にできないものです。無料相談などを通して出逢っていきます。公共機関の無料は無料ではなく税金で運営されているものです。質が悪いわけではありません。

公務員やそれに準ずる団体が運営するものはたいしたものではないというのは真実の部分もあるかもしれませんが、半分以上が左翼的な考え方をした人達の主張を受けた洗脳だと思います。僕自身、その洗脳にはだいぶやられていますので、頑張って真ん中に立てるようにしています。

まずは至極一般的なものから触れて、そこからステップアップしていき、自分から見て経験値が高いと感じる人、またはそういう人が書いたビジネス書を探してみることをオススメします。
目が肥えてくると、ダメのビジネス書、ダメなコンサルタントがすぐにわかってくる。僕はまだまだです。気付くのが遅すぎて、未だに失敗することがありますが、そういう失敗を糧としていける経営者を目指しています。

ステージの高い人にスピリチュアルを信じる人が多い理由

2017年12月20日
ステージの高い人にスピリチュアルを信じる人が多い理由

経営者やコンサルタントにスピリチュアル好きが多い

僕も実際、好きか嫌いかで言えば好きなほうなのかもしれない。占いも正直、気になる。

とりわけ気にするのは吉方位。

ただ、信じているかどうか?と言われれば、答えは「信じてみたい」と言うレベル。

それは、僕の周辺だけをみたところ、統計的にスピリチュアル系の人の多くがビジネスにおいてそれなりの地位を築いているからだ。

ツインソウルってただの浮気のいいわけだろ

昨日、経営者仲間達と、ツインソウルについての話があったんだけど、恋愛ではないけど、シンクロする、惹かれ合うって言う。

ツインソウルというワード自体、昨日はじめて聞いたというレベル。

スピリチュアルが好きだけど、ほぼ信じていない僕の発言「それって、ただの浮気だろ」(笑)

気の知れた仲だから言える愛情のこもったツッコミ。

でも、そういう存在も世の中にはあるのだそうな。信じる率40%。

人の背景や過去が見えるという人もいる。それは、少しわかる。

言動から見える部分はかなりある。ウソや策略はすぐにわかる。

海外で散々痛い目に遭ってきて嗅覚が研ぎ澄まされたのだろう。

結局、そういう「嗅覚」がスピリチュアルの原点だと思えば、僕もスピリチュアルな人間なのかもしれない。

ただ、僕のことを慕ってくれるクライエントさんは、そういう形のないものを信じない人が多い。多分、僕がそうだから。

祈りなさい。思い続けなさい。大切なことなんだけど、そこは話の導入に過ぎない。これをメインパーツにするコンサルタントがたくさんいるのも知っている。

現実的、具体的な計画を立てる主義

現実的、具体的な計画を立てるときにスピリチュアルな要素を入れると神頼み的な要素になって運次第の計画書ができあがってしまう。
運が悪かったら計画を完了できないようなものでは意味がない。

そういう理由で具体的な計画や行動を導けるコンサルタント、コーチになれるように日々心がけています。

舞台演出をしている時から、抽象的な説明はせず、具体的にこうやって!と注文をつける演出家だったこと思い出しました。

スピリチュアルが臭い以外のものを嗅ぎ分ける嗅覚だとすれば・・・

スピリチュアル。目に見えないものが影響しあうというのは誰にでも経験のあること。

だからこそ、それを調理して、(深めて)一つのジャンルにすることで関心は高まる。

全てがそうではないけども、半分はおそらく正解だから、そこが説得力をもってもう半分のウソや誇張を覆ってしまう。

背後霊とか、ホントについてるの?って、これは半分以下、多分、3割くらいしか共感できないんだよね。本当にいるのかな。

いるとわかってたら、いろいろなことがやりづらくなるよね・・・

スピリチュアル。半信半疑。

それがいわゆるこのステージから抜け出せない理由なのかな?と思うからこそ、ちょっと信じるように「している」と言った程度です。

でも、本当にスピリチュアルを信じている人はステップアップが早い。これはきっと宗教を戒律にしている国家の構造と似ているような気がする。

共通言語や共通の価値観が共鳴を起こして見えない力で人間同士が良い意味で引っ張り上げる役割をするからなんだろう。

形がなくても、実態がなくても、「良い」という共通認識を共有することでプラスの方向に向かっていくんだろうな。

分析している時点で、もはや入り込めないジャンルではあるんだけど。

僕は今、このスピリチュアルに代わるなにかを芸術の中にないだろうか?と探しているのです。←結局、コレが言いたかった。

人を引き上げるもの。ビジネスではやってきたけど、ここには実力主義というものがどうしてもあることに気付いています。きれい事抜きにして。

だからスピリチュアルで救おうという気にも正直なれない。でも、芸術は力ではなく感性ですからね。ここに優劣はないものね。

逃走は本能。進化に必要。嫌だ!と思う心は明日への道しるべ。

2017年12月12日
逃走は本能。進化に必要。嫌だ!と思う心は明日への道しるべ。

仕事や人間関係に疲れて自殺してしまう人はきっと責任感が大きい人だ。

ここから逃げ出したい。

逃げたいなら、命を捨てずとも、関係性を断てばいいじゃないか。多くの人が言う。

でも、それは回りの考え方であり、本人は、「逃げた後にさいなまれる苦渋」も含めてそこから逃げたいはず。

自分が逃げ出した後、あの人は何を思うだろう?会社はどうなるのだろう?逃げ出した自分に回りは何を思うのだろう?

具体的に家賃はどうすればいいのだろう?生活は?親が知ったら悲しむだろうか?

自殺はそこからも逃げ出すための唯一の手段だと行き着くのかもしれません。

実際、僕自身も、ここから逃げ出したいと思ったことは数多くある。

まずは物理的に逃げてみよう

物理的に逃げることは簡単だった。会社だったら、辞表をだせばいいし、部活だったら退部届、学校なら退学。

高校3年の時のクラスがイヤだったので、同じ思いを感じている友人と2人で学校に行かずにカラオケやボーリングに行っていた時期もあった。

その後は、先生に絞められるんだけど(笑)

「物理的に逃げる」ことは簡単だった。方法はひとつ。ただ、そうすればいい。

物理的に逃げても心はきつかった

あとは、心がきつかった。逃げたところで、学校に行っていないことを親が知ったらどう思うだろう?

会社を辞めたことを親が知ったらどう思うだろう?

どうしたって、関係性の断てない人がいるから、その人に対してどう思うか?

だから、最終的にそこからも逃げだそうと思って自分を追い込んでしまうのかもしれません。

心が逃げられなくてもとにかく物理的に逃げるんだ!

僕の場合は、家出をしていました。さすがに高校生の時は夜中に帰ってくるんですけど(笑)

そんなことを繰り返しつつ、じっくり時が来るのを待ち、成人して家を出ました。

会社にしろ、バイトにしろ、人間関係にしろ、無責任だと言われようが、ひとこと言って、去ればいいと思います。

とにかく最初の一歩は物理的に逃げる。ただ、それを実行すること。

去ることを「メールで済ます」は悪なのか?

最近、「メールで済ます」ことが悪いこと、無礼なことと言われる風潮がありますが、僕は思います。

メールで済まされた人はメールで済まされる程度の人間だったのだと。

お世話になった人に対して、あたたかく包んでくれた人に対して、独り立ちして卒業という意味で去るときに誰がメールで済ますでしょうか?

「メールで済まされた」と言うことは、自分はその程度の人間だったんだなと自覚して欲しいと思う。

よく「信じられる?メールで済まされたんだよー!」と聞きますが、逆に恥ずかしいことだと自覚して欲しい。

僕のところにはたくさんの・・・というほどでもないけど、慕ってくれるクライエントさんがいて、その多くは夢を形にしたい人たち。

カウンセリング→コーチング→コンサルタントという段階でともに目標を形にしていく起業プランを作っていきます。

宗教的なものじゃなく、具体的なビジネスをともに考える。

具体的な企画、ツールを一緒に作っていき、実態のあるコンサルタントをしています。

最近のコンサルタントは宗教的なものが多くて、搾取が目的なものも多い。コンサルタント側も自分が搾取していることに気付いていないことがあり、更にたちが悪い。

レベルが上げいくと、新たな世の中の不条理がどんどん現れてくる。

上に行く人はたしかに多少の毒を持っていることが多い。

自分の事業レベルを上げていくと、新たな層の人と出会い、新たな発見もあることでしょう。

すばらしい人格者もいれば、見えない力に傾倒しつづけている宗教的な人が特に多いことに気付きます。

(もちろん、そういう力の存在の否定はしませんが、その価値観の押しつけは激しい人に対しては不快感を感じます。)

毒なのか?栄養なのか?束縛なのか?好意なのか?混乱します。

それを受け入れるか、受け入れないかは、慎重にならなくてはいけないし、一番、大事なのは、どんな選択をするときでも、必ず逃走経路は確保すること。

受け入れられない毒は受け入れてはダメだ。

耐性がないものは摂取すると死んでしまう。コレはダメだと思ったときは関係性と断つ準備をいつでもしておくこと。

ステップアップは面倒だけど、ステップアップはした方がいい

政治の世界にも触れることがあると思います。これって犯罪じゃないの?と思うシーンも目の当たりにすると思います。

これが上の世界かと思うと、自分はこのままでいいと思ったりもします。汚れたくないと。

でも、必ず、自分にあった上がり方がある。

心地よい場所、心地よい人。

そういう場所や人は、そうでない人から逃げて、断っていかないと、現れないことがわかります。

一度垣間見た上の世界が、全てそうではない。

質素倹約の人もいる。無宗教、無党派層、属さない人もいる。人を信じない高飛車な人もいれば、腰の低い人もいる。

これは違う。ここはきつい。そういうものから物理的に関係を断つことをまずは、恐れずに実行してください。

いつか、自分に合う人がきっと現れる。

そして、心の問題。実は、物理的に関係性を断てば、自ずと心も穏やかになっていきます。なぜなら、人は忘れる生き物だからです。

自分が逃げだすことで影響を受けた相手も、自分自身も、忘れていきます。

自分に合わないものから逃げ続けることで、逆にたくさんの新たな選択肢ができて、その中から新しいものを見つけ、自分に合うものを見つけていく。それが人生だと思います。

自分のお金や、自分の時間を搾取する人間からは逃げだすことは、正しい行為だと信じてください。

そして、嫌だ、逃げたいと思う心は、異常ではありません。

ここは自分の場所ではない。次に行こうという心のサインです。立つ鳥跡を濁さずと言いますが、僕は思う。濁りなんて、自然に浄化される。

人間関係が面倒くさくなったときに読む記事

2017年12月1日
人間関係が面倒くさくなったときに読む記事

人間関係が面倒くさくなるとき

  • 自分の時間が相手の都合で勝手に決められるとき
  • 選択権は残されていても、事実上、それを制限するような空気を作られたとき
  • 勧められたことを拒むことで人間性を疑われるリスクをかもちだされた時

非常に面倒くさい

自殺したい人を呼び寄せて殺害した事件が神奈川県座間市でありましたが、その残忍さのみに焦点が当たり、なぜ、そんなところに行ってしまったのか?被害者が持っていた心の闇にはなかなか焦点が当たらなかったように思う。(プライバシーにも関わるからという理由もあった。)
単純に、自業自得のような雰囲気もネット上には流れたことだろう。

人間関係が面倒くさくなることは誰にでもある。

なぜなら、人間なんて基本、利己主義で、良くも悪くも自主的
リベラルアーツの教育や良質な道徳知識を得てようやく社会性を得ていくのだろうけど、それでも、基礎的な部分はなかなか消え去ることなんかできないはず。
人間関係は、こちらが本性を出せば出すほどに相手も素性を出していく。
それは深まると同時にどうしても面倒くさくなることもある。

遠慮がなくなっていくのだから当然、今まで聞き入れてくれていた人が刃向かってきたりする。

学校の先生と生徒の関係もしかり、会社の上司と部下の関係もしかり。
(立場や地位が)上から下だけではなく、最近では、下から上への攻撃もよくある話。
コミュニケーションをテーマにした本がベストセラーになるなど、もはや知識武装やテクニックも必須になっている現代、人間関係なんか面倒くさいのが前提だということを知った上で生きていた方がむしろ楽なのかもしれない。

人間関係なんかそもそも面倒くさいものなんだ。

端から見ていて、平和そうに見える人間関係は、絶対的権力者とそれに付き従う人達という構図。とりわけお笑い芸人の世界は平和に見える。
でも、これはこれで見えないストレスに苛まれている人が見えなくなっているだけのような気がしてならない。

人から攻撃を受けたとき

攻撃をうけたことがある人(ない人がいるわけもない)なら、「誰にも会いたくない」となってしまう心情がきっと理解できるはず。
発端が自分であるにせよ、相手が理不尽であるにせよ、攻撃それ自体は「悪」以外の何物でもない。
これを理解している人は非常に少ない。
優しい人であればあるほど、攻撃を受けた後に、二次元の世界や、バーチャルの世界に傾倒し没頭してしまう人の気持ちもわからなくもない。

これからの生き方

付き合う人は選べないのか?
事業を興せば付き合う人は選べることがわかる。(だからといって起業は簡単ではない。リスクもある。でも・・・↓)
嫌な客は切ればいいという特権が得られる。
モンスターカスタマーは事業を営んでいると一定の割合で確実に現れる。多くの場合、値切る客に多いという統計的データもつかめるようになってくる。
(値切られる以前にこちら側がふっかけていたら発端は自分だから、素性が見えなくなるので、起業をしたらふっかけてはいけない。)
「値切る」それ以外の特徴も見えてくると思います。

(含有リスクを感じる)嗅覚が発展してくれば、先に受け入れないこと(バリア)もできる。

お付き合いしていく中で、その「におい」を感じたときは彼(彼女)がモンスターになる前に、徐々に終わらせる道順を作り始めるのも大切だ。
徐々に終わらせるというのは、突然断ち切ることと比べて難易度は非常に低い。
ストーリーを作れば良いだけだから。
「今年、○月から※※※の理由で方針を切り替えるため」という事業計画を打ち明けるだけだ。

また、自分自身がモンスターにならないようにすることも大切。

心に憲法9条を掲げれば良いのかもしれない。
戦争の放棄。こちら側から人を馬鹿にしない、罵倒しない、でも、意見を言うのとは違う。意見を言うときは慎重に相手の意見も尊重しつつ発信する。
ただし、「悪」に対しては言わせてもらう(反撃する)時もあるかもしれない。
できる限り目に見える「反撃」以外の手段で防衛すること。
そのくらいの意識。

時に冗談が相手を怒らせることがある。

これに関しては、真摯に謝ること。そんなつもりはなかったというのはこちらの事情でしかない。
それでもこじれたときは、身を引くことでストレスから身を守ること。
冗談で怒らせたとしても、相手が怒りをストレートにぶつけてきたときは既に相手にも非が生じていると言えなくもない。

「誰とも会いたくない、何もしたくない」となったとき

誰とも会いたくない、何もしたくないときは、誰とも会わないこと。
ただし、ここで「何もしない」はオススメしません。
気を紛らわす何かをすること。記憶は重ねていけば傷も薄くなる。
何事も確実に忘却していくのが脳の機能。「忘れること」は人間をストレスから解放する防衛本能ともいわれています。
これを積極的に活用するためには、「何もしない」は逆効果。
スマートフォンを機種変更するでも、芝居やコンサートに行くでもいい。
とにかく忘却に務めることが大事。
決して、自分を傷つけて終わりになんかしてはいけない。