1日だけ許されたオーバー・ザ・ボーダー メーソートからミャワディ

2008年1月23日

朝7時にセットしてアラーム。疲れていたのか10分、また10分とリセットして結局7時半に目覚める。

国境は17時で閉鎖だ。どれだけの時間がかかるかわからないミャンマーのミャワディ。できる限り時間が作りたかったため8時にはホテルを出てソンテウを10バーツで拾い8時半には国境に着いた。

ぴりぴりしたムードの街と思っていたがそれを作っているのは自分の心の中だけではないか?と思いリラックスを試みた。

後から乗り込んできた白人が猫や犬、羊の鳴き声でミャンマー人の子供をあやしているのを見てなんだか妙にほっとしてしまった。

イミグレで出国許可をえて国境にかかる橋を渡る

国境のモエイ川をタイ人なのかミャンマー人なのか乾季のせいで水かさがないため悠々と歩いてわたっている

国境の威厳のなさ…イージーなんだとミャンマー人のおっさんが横から口を出してきた

ミャンマーの国境の街ミャワディに入国。

先ほど話しかけてきたおじさんがガイドを申し出た。

300バーツで3時間でシクロで案内するという

はなからそれが目的で話しかけてきていたのかと少し残念に思い断ろうと思ったが危険と名高いこの街で一人歩きするよりはいいかもしれない250バーツに下げられて粘るような商売根性のあるやつだったら断ろうと思い250といっきに50下げてみたが、軽く笑っていいよといってくれた。まぁ、それでもきっと良い値段だと思うけど。

ともに行く場所、お寺やマーケットはともかく幼稚園や村や丘、一人では到底入るに躊躇してしまうようなところへと案内してくれて結果的にとても良いガイドだった。

幼稚園の子供たちはよってきては珍しそうに知っている外国語をならべて笑っていた。

物をねだる様子もなく笑顔だけを振りまいていた。

あちらこちらで大注目を浴びる。タイでもヴェトナムでもここまでのことはなかった。

おじさんの名前はチョウトンさん

彼はタイがリッチでミャンマーはプアだとしきりに繰り返した。

これについては外国人になぜだと良く聞かれるけど私にも答えが出せないんだと言っていた。

ミャンマーの周りの国の文化は皆、ミャンマーから影響を受けている、いわばミャンマーこそがオリジナルなんだと言っていた。

なのになぜその私たちがプアなのか、答えは私にもわからないと

閉鎖的だからだよ…きっとそんなことはわかっているのだろうと思いあえて言わなかった

なんで、僕たち外国人はミャワディを一日で出て行かなくてはいけないんだ?なんで、ここから3km4kmのところにいくだけで逮捕されて刑務所に入れられてしまうんだ?

とチョウトンさんに聞いてみた。

なぜかイタリア語まじりの変な英語でよくわからなかったが来年・・・いや、2年後にもう一度来てくださいと言っていたのだけわかった。

きっと、ミャンマーから入ってインドやほかの国に行くことはできるようになっているはずだからと。

これは多分、国民全員の願いなのではないかと思ったりもした

ミャンマー人はみんなタイ人が嫌いなのか?

そうです。きらいです。

そんな言葉を聞くとタイのアユタヤにあるミャンマーとの古い戦争の傷跡を傷跡のまま残しておくことの意味を見失ったりもした。

あなたをあの寺まで連れて行きたいと山の中腹にある遠くの寺を山の上から指差した。

きれいなんだ。景色もいいんだ。でも、私一人なら行けるけど、もしあなたを連れて行くと私もあなたも刑務所に入れられてしまうんだ

ここから3kmくらいのところには野生の虎もいる自然の多い国だ。私はあなたに見せたいんだ。でも、できないんだ。

僕にはこんな苦悩を感じたことはあるか…僕は涙が出そうになった。自分の国の自慢の場所に連れて行きたいのにそれすら許されないなんて。

最後にミャンマービールを飲みたいといって食堂に入った。

思いのほか、おいしい。思いのほかというよりも、かなりイケル。

うまい!正直な感想を述べるとミャンマービールは日本を含めたアジアのビール大会でのチャンピオンビールなんだよと教えてくれた。

それだけでも、かなり見直した国だ。

それにミャンマーカレーとてもうまかった。お世辞抜きにうまい!と感じたことをそのまま伝えた。ビール3杯含めて100バーツ。タイだったらおよそ220といったところか・・・

あなたの国のガイドブックやテレビ、新聞で危険だと書かれていることは知っているんだよ。でもね、どうだった?とてもピースフルだろ?

そうだねと答えるしかなかった。5時間で何がわかると自問してしまいそうだったけどそれしか与えられないミャンマー政府の姿勢を理解できなかった。

空港から入ると滞在は可能だという。でも、陸路から入ることで得られるものはかなりある。国の端から入ることが本来は普通のことなんだと思う。端から入りその反対側に抜けていく。それがこのミャンマーでいつかできる日が来たらしてみたいと思った。

ミャンマーとの出会いもまた大きな宝になった。

そこにラオスが見えるから

2008年1月23日

陸路国境はタイからマレーシア、マレーシアからシンガポール以来の今回。

タイからラオスに渡る!

しかも、国境でビザを取得しなくてはならないのは初めて

だがしかし、僕はけっこうなめていた。

仲の良いタイからラオスへ渡るなんてきっと朝めし前だ。

ガイドブック「メコンの国」を見るとビザ代は30ドルと記載されているが米ドルなんて今回は持ってきていない。

「まぁ、タイバーツでなんとかなるんでしょう・・・」とお気軽な構え。

プラス写真が必要と書いてあるけど、なくても大丈夫と言っていた人がネット上にたしかいたっけなぁ?とこれも用意していない。

ネット上に転がっている都合の良い体験談を優先してしまうのは悪いくせだ。。。

どうにかなるさでタイの出国管理事務所へ行く。

そこでは行った先のことなど知らん!という感じで簡単に出国スタンプをくれる。

米ドルはあるのか?写真は用意したのか?なんて聞いてくれる親切な公務員はいないのです。

10バーツで国境を越えるバスに乗る。

メコン川を渡って国境を越える。そんなバスに乗っている。気分が高揚してくる。

ボーダーを空中で超え「ラオスだ!」

最高の気分。

バスはメコンを越えてラオスのイミグレーションに到着する。

さて、入国審査だ。

入国シートに記入しなくてはって・・・あ、ペンがない。。。

恐ろしいくらいに国境をなめている自分。

この先、この国境を目指す人たちよ!先に言っておきます

ペンと写真と30ドルは用意していってください。

とりあえず近くにいた中東っぽい人にペンを借りて「ここは何を書くの?」なんて聞きながら入国シートを仕上げる。

そしてイミグレーションの列に並ぶが、親切な中東の彼がいっしょにやってあげるからパスポートをかしなと言ってきた。

いやいやパスポートを人に渡すなんていくら親切でもできませんよ。

僕の番になり係員にパスポートと入国シートを渡す。

入国シートに写真が貼ってないのをみて「写真!」というので「ない」と言うと彼はおまえはバカか?というような感じでこちらを見ている。

やっぱりダメか・・・と最後の手段で用意していた普通のスナップ写真を差し出すがこれでは、規定のサイズより大きすぎる。

そこで規定のサイズどおりにペンで線を引き、カットプリーズと係員に差し出すと係員はその写真の僕の顔の部分だけを切り取った。

律儀やのー・・・と感心していたが、規定サイズギリギリに切って顔がいっぱいいっぱい。

周りの人たちも笑っていた。

みんなの写真はバストアップなのに僕のは顔がはみ出るくらいだった。

和やかなになった中、「30ドル」と言われて再び、「ない」と言うと、「タイバーツはある?」と聞いてくる。

ほれほれやっぱりタイバーツでも行けるんじゃないかーと思いきや「1500バーツね」だって。

やっぱりビザはどこでも米ドルかいな・・・30ドルで済むところ1500バーツということは日本円で約1500円ロスした。

皆さんは国境を越えるときは準備万端で臨んで下さい。

でもここは平和な国境です。

旅人が通り過ぎる街 タイ ノンカイ

2008年1月23日

2004年8月ラオスへ渡るため僕はノンカイへ向かった。ラオスに開かれているタイ国内の国境はいくつかあるみたいだけど唯一ノンカイだけがあらかじめビザを用意しておかなくてもラオスのイミグレーションで取れるいわばお手軽な国境だということだ。

もちろん、僕もビザを用意してなかったのがノンカイを訪れた要因だった。

昨晩、ピマイにいたせいでノンカイへはピマイから近いコラート発0時30分のバスで向かう。

もちろん、バスの中で眠りにつけば早いということを見越して乗ったバスだったが着いたのは朝の5時30分。たったの5時間しか経っていなかったことが逆に本当にここがノンカイなのかと全員の乗客が降りるのを疑いながら寝ぼけ眼でバスから降りた。

降りたと同時にトゥクトゥクのオヤジたちがどこに行くんだ?ラオスか?と客引きをしてくることに本当に国境の街ノンカイに来たんだという実感がわいた。

朝が早いせいか、ソンテウや市街へのバスが走っている雰囲気はなかったのでトゥクトゥクで市街まで連れて行ってもらうことにした。

「ラオスに行くのか?」

「明日ね」

「ビザはあるのか?」

ビザはあるかを聞いてくるがビザは国境で取れるのではないか?と少々不安に思いながらもないと答えるもとりあえず市街へ向かうようにに指示をした。

交渉は50バーツでけりがつく。少々高いと感じたがどうしてもそれより下がらなかった。朝が早いせいもあるのかもしれないし、この街の相場がまだわからないのでまずはそれに従うことにする。

あとでわかったことだがノンカイのトゥクトゥクの相場は40バーツ。

駅に行くにもバス停に行くにも40バーツ以下には下がらない。

もちろん近くならもっと安くなるのだろうけどメコン川沿いに広がるこの街はとても歩きやすい。街も小さくトゥクトゥクに乗る必要性を感じない。乗る人も少ない。そのくせ客引きもしつこくないので彼らの生活が心配になる。

とりあえず適当なゲストハウスの名前を言い向かっていたのだが地図を見るとどうも方向が違う。なにか悪い予感がしていたがついたところが予感的中の旅行会社。ビザ取得の代行をするというのだ。ビザはラオスのイミグレーションで取れるはず。もちろん、ここでとるほうが確実で安心だろうが自分で何でもやりたいたちだ。

第一、トゥクトゥクオヤジの勝手に違う場所に連れて行くやり方が気に入らない。「ラオスには行かない!ゲストハウスに行け!以上。」ぶすっとした顔で一歩たりとも席から動かなかった。仕方なしにトゥクトゥクは走り出す。街に近づくにつれ朝霧の中、大きな河が近くを流れている空気を感じる。

メコンがまだ見えないところからメコンの空気がただようノンカイの朝は格別だった。

喧騒!喧騒!喧騒!

2008年1月23日

放っておいてくれ!ほんとに頭にくる。静かに歩くことは許されない。

リキシャに乗れ!シルクを買え! 薬をやるか?何かものを見る余裕も感じる余裕ない。

一度どこかの店に入れば、見るだけで店を出ることができるかどうか?買うまで本当にしつこい。

実際、それはインドどこでも同じ。でも、ここはそのレベルが高いということだけか、とにかく異常だった。

僕たち日本人にとって苦手意識を持ちやすいのがおそらくインド人ではないかと思えてくる。

朝、ゲストハウスで新しくチェックインしてきた東洋人にどちらからですか?と聞いてみると中国からだと言う。

今着いたのですか?と聞くと、昨夜深夜に着いたのだけど朝まで空港で待機していたんだよというこたえ。

デリーに空から入る人は第一日目は送迎つきのゲストハウスにしたほうが身のため、今後の旅のため。

黙ってそのホテルに連れて行ってくれたという話を聞いたことがない・・・まぁ、そのほうがたいした話題にならないからと言うのもありますけど。

およそ、どこかのホテルかどこかの知り合いの事務所に連れて行かれるのがお約束のようで。ずぶとい神経の持ち主の多い(失礼・・・)中国の方でも朝まで待機してしまうインド、デリー。免疫がない日本の方はまずはコルカタからをオススメします(笑)

そんなデリーでも3日もすれば楽しくなってくるのはなぜでしょう?

大阪人でなくても「なんでやねん!」とツッコミをいれたくなる理に適わない文化。神の使いのウシ君たちもむしろ食べてあげたほうが楽なんじゃないかね?

パハールガンジの真ん中で僕はこの先どうしたらいいわけ?とウシ君の目が泣いているように思えたのは僕だけでしょうか?

あのままでは動物虐待、たまにタッチして祈るインド人もいるけど祈るくらいなら餌をくれと言いたいはず。

リキシャに乗りラール・キラーに向かっているときリキシャのおっさんがそこらのにいちゃんとけんかを始めた。

あのぉ・・・僕たちお客さんはどうしたら良いのでしょう?

ただただけんかが終わるの待つばかりです。

何はともあれ、なぜか3日目からは本当に楽しいのです。到着日、翌日くらいはストレスを感じるかもしれないけど旅行会社のツアーなんかに申し込まないでとにかくゲストハウスで耐えてください。旅行会社に行ったら最後、50ドルや100ドル程度の手頃(?)なツアーなどは用意してませんよ。最低300ドルから上は1000ドルくらいのツアーがずらーり。契約しなかったら鉄砲君が出てくるところもあるとかどうとか・・・被害者続出中です。

旅行会社に行くときは 武器を持っていけ!と日本人にやさしい味方のとある友人のインド人が言っていました。

乗ったリキシャのおっさんがフリーマップいる?と聞いてきてもいらないと言いましょう。行き着く先は魔の旅行会社です。

とにかく嫌われてでも大いに警戒するべき場所ですが、実はそれはそれでとても興味深い街なのです。

ホーチミンからハノイへ上る

2008年1月23日

今回、台湾のエバー航空のオープンジョーチケットで来ている僕は最終目的地タイまでの寄り道が多い。

(帰りの便はバンコク発)

ストップオーバーで台湾の台北に滞在。

そして、台北からここ、ホーチミンに降り立った。

さてはて、バンコクまで行かないと日本には帰れません。さぁ、どうしよう。

ホーチミンからタイへの陸路最短ルートは西のカンボジアに入りプノンペン、プノンペンからアンコールワット遺跡のシエム・レアプを通り、タイのアランヤプラテートに入る。

でも、僕はホーチミンに降り立ったその日に、このベトナムを北の首都ハノイまで縦断してみたくなった。タイに入るのはそれからでよかろう。うん、そうしよう。

開放的なベトナムの空気は普段まじめな僕を楽観主義者にする。

何が面白かったかってこのバイクのけたたましい数。

笑うほかない。。。

2車線道路を歩いてわたるのも一苦労。交通事故数は世界一という。

(インドネシアはしっかりカウントしてないからインドネシアのほうが世界一という説もある)

事故って当然だろうという走り方。

というか、普通に走ることはもはや不可能。

みんながみんな暴走族。族ではないから、暴走人であります。

ものは試しにバイクタクシー、略してバイタクに乗ってみた。。。

おじさんもおばさんも、若い女の子だって暴走人。

みんながみんな暴走だからそんな各々の走り方を許しあっているのかと思ったらそうでもなく、あぶねーんだよ!バカヤローっていう顔でガンをとばしあいながら走っているのです。

接触しそうになり僕をにらんでも「運転している人はこの人ですからぁ~」とニコリニコリと微笑み返し、バックシートに乗っていた平和主義者の僕にはちょっと精神的にきつかったです。

ベトナムの歴史はもともとフランスの植民地だったこと。

ベトナム戦争の文字通り戦場だったことを入れて見所充分っぽい。

北への向かい方はシン・カフェをはじめとするツアーバスでまずはニャチャンまでか、寝台列車でニャチャンかその先のダナンまで

男一人旅、ニャチャンはビーチだ。一人で泳いでも寂しかろうと次なる目的地はニャチャンをとばしてダナンから程近いホイアンに設定。

北へと向かうのです。ちなみに沢木耕太郎の一号線を北上せよに感化されたせいでもありまして。。。

バスでダナンやホイアンまでの直通はやってない。どうせなら寝台列車で直行したい。

バイタクでガ・サイゴン(サイゴン駅)へ行き、チケットをとる。

ベトナム北上の旅がここに始まる。

マザー・テレサの家の前で詐欺に会う

2008年1月22日
マザー・テレサの家の前で詐欺に会う

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宗教が大きく絡み歴史の渦を作り出してきたこの国にもやはりキリスト教は存在する。

日本にももちろん存在する宗教。でも、僕たち日本人の多くは宗教という原理を理解しずらいと思う。多くの国民の社会生活に密着しているとは到底いえないし、それが良いのか悪いのかは置いておいて。。。

宗教に帰依していると言うだけで胡散臭がられる若者文化もある。

このこと は世界の先進国の国民として問題があるように思えてならない。。。

でも、ほんの少ない期間でも特にアジアやアフリカを旅していると宗教の「意味」というのがうっすらとわかってきたりする。

「道徳」ということか・・・

もちろん、道徳一つで片付けられるほど宗教は浅くはないのだけども。

日本の道徳教育は昨今、問題視されているけれど、ほどほどに優れたほうに入ると思う。

ただ、教育を受けられる子供が100%でない国で、どうやってその道徳秩序を教えることができるのか、なにを基準に良いこと、悪いことと判断させていかなくてはならないのか?

宗教=道徳

そういう国に行って感じたことは

僕たちはこの国の宗教に守られている

ということ。

たとえば人をむやみに殺してはいけないとする宗教を信ずる人たちの国であればたとえ道徳教育がすぐれた国でなくてもその宗教心により平和が保たれていることになる。僕たち旅人はその恩恵を受けているといっても言い過ぎでないように思う。

でも 、どこの国でも宗教の戒律を都合よく解釈をしている人が多いなぁというのも僕の感想。

インドのコルカタにあるマザー・テレサの家はキリスト教の修道院です。

マザーの功績は映画や本でたくさん紹介されています。

ここには慈悲深い旅人が多く訪れる”スポット”。それゆえその慈悲に満ちた心に漬け込んでくるやからが多いので要注意です。

マザーハウスの前で起きる詐欺事件とは?

たとえば、マザーズハウスの入り口がわからずにうろうろしていると「こっちだよ!」と連れて行ってくれる子供がいます。たいがいウソは言わないでしょう。マザーズハウスに救われている子供たちですから。

でも、しかし、この子達、案内してあげた人が出てくるのを何時間も待っています。

出てきたらさっきのお礼をくださいとおねだり。「チョコレート、チョコレート!」

はいはいと笑顔を見せた瞬間、赤ん坊を抱いた両親(役?)が現れて粉ミルクやウエハースなどをせがんできます。

そんなもの持ってないよとジェスチャーをすると、お店を指さします。

ここに売っていると。

お店に入ったらアウト、彼らは万引きをして逃げていきます。

店主はパニック。なんてことをしてくれたんだ!代金はお前が払えと。

でも実は・・・

この店の主人もグルです。

気をつけてください

まんまとひっかかったのはボクです。。。